大好きヤオ族
ヤオ族
ヤオ族といっても数百万人規模の人口持つ大民族でヨーロッパの一小国をしのぐ。湖南省から広東、雲南、貴州、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーにいたる広範囲に居住する。多数の分派があるが、ここで取り扱うヤオ族はミェン(自称)である。ミェンは一部雲南省南域部からラオス北域部、ベトナム北域部の国境
を跨いだ地域に多く、タイにもチェンライ郊外にここから移住した人々が住んでいる。道教の神々を信教し、タオイストである。商売を白眼視する人々が多く、農業で自給自足を心がけている。他民族に対しては敵対はしないがあえてフレンドリーに付き合ったりもしない。自然と共に暮らす人々である。
チェンマイナイトバザールにて待ちに待ったヤオ族のご婦人
1995年ころから2001年くらいまでチェンマイナイトバザール(ガーレーバザール)にて「アーチコーポレーション」という古布屋を妻と二人でしていたことがある。ここを拠点に毎週別の国に飛びまわり顧客の求めるものを探しに飛びまわっていた。実際には月のべ一週間ほどしかいないのだか、その時を見込んでいろんな民族の人が布や装飾品を持ち込んできた。モン族おばちゃんたち、カレン族おじさん、アカ族の人々、リス族のおばあちゃん、ラフ族のおねぇちゃん、、、。
ただやはり、ヤオ族の人だけは現れなかった。妻の姉はそのナイトバザールで三十年近く商いをしている人なので現れたら必ず来てもらうように頼んでおいた。
そしてついに来た。いらしたのだ。
何重にも巻き重ねられ肥大化して土星のようになっている黒いターバン、黒いコートの襟に、腹くらいまで垂れ下がる赤い襟飾り、藍染地に刺繍の施されたパンツ、そして、確か、裸足、「ど迫力!?」
普段見慣れたモン族やアカ族の衣装とは違い
大男が学ラン角帽を身に着け、のほほーんと、ゆるんでいるナイトバザールに出現するような緊迫感と緊張感がある。
「でっ、なに?」
開口一番こう言われた。おばちゃんや、おばさんでは言葉が甘く「ご婦人」。後ろに引く私は(もちろん通訳の妻とのやり取りだが、)
今まで探している物や知りたかった刺繍の意味や行事等の文化風俗についていろいろ尋ねた。
欲しいものについては
「そういうものは売っていない」ときっぱり断られ。
文化風俗については、知っている限りのことは教えていただいた。
用件が済めば、出したお茶にも謝礼も手をつけず、淡々と帰って行った。
聞けば村で作った手刺繍の布がまとまると市場の生地の卸屋に運びに行くという。小売りはせずすべてその市場に運ぶだけで淡々と帰っていくという。銀行など利用せずお金とは極力付き合わない生活をしているようであった。
ヤオ族角隠しとの出会い
1992年頃だったと思うがある知人からヤオ族の婚礼用角隠しの写真を見せられた。W30xL70cm位の黒い布は婚礼時に花嫁が使う角隠しの布だという。なんという暗い布だろう。結婚という華々しい舞台で使う布がほとんど黒やこげ茶だという。小学生低学年からこげ茶色や墨色が好きだった私にとってなにか同じ感覚を持った友人を得たような喜ばしい出来事だったのを覚えている。しかし当時その布は当時ほとんど日本ではほとんど見ることができず、(一枚十万円近く値が張る布で現物を見ることはできなかった)、写真集を手当たり次第あたってコピーし現地にさっそく探しに向かった。布さがしまずはチェンマイのナイトバザールへ向かう。タイ北部のヤオ族の布ということで写真をもってチェンマイのナイトバザールをあたってみたのだ。しかし当時はまだ古い民族衣装を取り扱う店は少なくほとんど見つけることが出来なかった。 当時の取引先でナイトバザールに店を持つアカ族の姉の店に相談するがほとんど理解されず、仕方なく雲南省まで飛んで探しに歩いた。その工程は長かった。
結果的に言うと二カ月雲南省とラオス北部プンツォリ周辺を歩いた。片道四五時間歩いたりトラクターの荷台に五時間も揺られたり10KG以上やせた。それで結果を言うと、ヤオ族でもミェンという分派だけが持ちしかも町に近いようなところではすでにその角隠しの儀礼はすたれ、山の中に入っていかないと残っていなかったり、タイのほうに近くなるとまた違ったものになったり、という具合で、面白かったが苦労もした。山賊に襲われるということも数回あった。
しかし集めに集めたその角隠しは現在300枚以上に上る。
子供のころから好きな色合い
小学四年生だったと思う。確か父親に誕生日プレゼントを訪ねられスポルディング社の渋ーい薄こげ茶色のスウェード地のようなランニングシューズをリクエストしたことがあった。子供用ではなく大人のもので一番小さいサイズなら何とか履いてもいいサイズであったのだと思う。渋すぎるので父は何度も何度も尋ねたのを覚えている。プレゼントされたその靴には薄こげ茶色のスウェード地の上に濃いこげ茶色の三本ラインが入っていたと思う小学生には渋すぎ実際には二三回履いた程度でずうっと手に持って眺めていた。眺めて撫でてスケッチしてため息をついて引き出しの中にしまうことを繰り返していたのを覚えている。幼児の頃の「マイ・ブランケット」みたいに恋しい。
この布の色合いにはこの当時の感覚をよみがえらさせた。触って広げて眺めて写真を撮ってため息をついて畳んで箱にしまう。あの小学生の頃と全く同じことをしていて、さらに、私なぞは仕事にまでしてしまっている。同種の癖をお持ちの皆さまにおかれましてはさぞ同感していただけることと思います。