アカ族の布、ハニ族の女性用上着
1991年春頃だったと思う、まだ中国雲南省シーサンパンナが一大観光地になる前のことです。南国の特有の「のーんびりした」いい雰囲気がありました。
省都昆明からバスで二泊三日、信じられないような山越えをしてゆきたどり着く桃源郷のようなところが昔のシーサンパンナでした。飛行機は週何便かありましたが半分くらいは気象条件により欠航するという予定の立てにくい行きずらい場所でした。(バスは故障により四泊五泊になることはざらでした。それに対して文句を言うような人はいないイイ時代でした。実際私も五泊かけてたどりついたことがありました。)
シーサンパンナは西双版納と漢語で書きもともとタイ語のシップソンパンナーに漢字をあてたものです。このシーサンパンナ県にはタイ族を主流にハニ(アカ)族、ヤオ族、ジンポー族、ラフ族等の少数民族の多数暮らすところです。もちろん、中国の主流民族「漢族」も多数暮らしています。
初めて訪れたのは1991年。その後確か二三年で中国の大河ドラマにここシーサンパンナが使われ一躍大観光地となりました。このことは日本のNHKの連ドラ効果とはケタが違う物凄い数の人が押し寄せる結果となりました。その後現在にいたるまで雲南省の筆頭にあげられる観光地となっています。週に二三回の昆明-景洪(シーサンパンナ)飛行機便数が一日に五十本以上の便のある国際空港に変わったのです。街並みや人の数や風俗まですべて激変しました。
シーサンパンナについてはさておき、その初めて行った1991年に、ここで初めて日本以外の民族衣装に興味を持つことになりました。その興味の第一号がハニ族の女性用衣装だったのです。
ハニ族の衣装には×印のクロスステッチが使われています。サニ族の項にも触れたものと同 じ刺繍です。何気なくジンホンからバスで一時間、ジンロンの市場て見たみたおばさんのぶら下げているショルダーバック、藍染によく染められ、その上からほこりや泥、垢もあるかもしれない、そして彼女たちがよく噛む噛みたばこの汚れ、そんなのが「これでもかぁー、これでもかぁー」と積み重なって黒びかるんです。さらに追い打ちをかけるようなその黒光りの中にうっすらと彩る赤青黄他の刺繍群。光明とでもいいましょうか、、、、、。
幾何学模様が並ぶだけの連続模様だが僕の感性にびびっときたのです。数時間おい駆け回り、身につけている衣装とその黒光りバックを譲ってもらいました。
ゲストハウスのドミトリーに戻るとその体臭のする衣装とバックを二時間ほどかけてポリバケツで手洗いし、洗いこみました。はっきりと浮き出た細かい刺繍と手紬の風合いの残る藍染の上着にうっとりし、早く乾いてその肌触りを確かめたいと焦っていたのを思いします。
この民族衣装販売の仕事はその時から始まったったような気がします。奇遇にも十年後その発端となったハニ族と同族のアカ族のかみさんをもらうこととなりました。
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アップリケ、モラ刺繍の入った刺繍
一般にアカ族はミャンマー、タイ、ラオス、ベトナムにすむ山岳民族であって中国側の雲南省のハニ族をアカ族とは言わない。分断されてそのようになったのかはわからないが元はチベットのほうから南下してきたという。しかし身につける衣装の形は同じようでもそこに施される刺繍の手法は全く違います。ハニ族はクロスステッチ、アカ族はアップリケ(このページのものはほとんどアカ族のものである)。全く違う手法で施している。
私の見た各地のアカ族はエリアにより特徴がありました。ここでの画像に使われているミャンマーやタイのアカ族の刺繍はアップリケや種子やコインなどの装飾品がぶら下がっていることが多く色彩豊かで赤青黄色多彩であります。前述のハニ族系はステッチがクロスを使い幾何学模様や漢字を入れます。多様な幾何学模様の連続、その配色とバランスには驚かされます。そのことから、以前は必ず文様に意味があったと覗えます。しかしアカ族とハニ族の刺繍の文様の相関性は(あるはずなのにあまりに技法が異なる)、共通項がないのではないかと考えてしまいます。衣装の形は継承され同じなのにとても不思議な感じです。参考までにラオスやベトナム北部はアカ族系の分派でアップリケ派であるが全体的な刺繍の量は少くなっています。。
以前シーサンパンナ南部の村々にインタビューの仕事をしに行ったことがありました。
タイ族の子どもたちへの取材でした、時々その近くに住むハニ族の村も立ち寄らせて見学させてもらいました。その際、拙いタイ国アカ族語を単語で話すとほとんどが通じるものでありました。言葉はもちろん同じであったということでした。言葉が同じで衣装の形も同じで、さらに地域的にもタイ北部からシーサンパンナは数百キロの違い、刺繍の違いは何をあらわしているのか?
いつか時間を作って探ってみたいものです。
手に入れて洗いこんだあの上着とパックはシーサンパンナの太陽に照らされパリパリの気持のいい最高の手触りの布でした。今でもあの触感は忘れられません。しかし、後にどこかに紛れてどこかへ行ってしまった。