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アジアの古い布を求めて西へ西へ早十五年がたちました。ラオスの北部ルアンナムタでは満月の夜、焼きこうもりを食べながら何十万匹の蛍に迎えられ美しい夜の宴会をモン族の人々と過ごしたことがあります。蛍の光に注がれた彼女らの民族衣装がなんと美しかったことか忘れられません。中国雲南省の大桃(ターヤオ)のイ族の松明祭りでは人のまったく住んでいない山が一夜にして数万人のイ族の人々で埋め尽くされます。松明のなかでの数万人の民族衣装の女性のエキサイティングな踊りに圧倒されしばらく夜うなされたこともありました。パキスタンと中国の国境カラコルム、スストのゲストハウスではベット脇の窓から見えるK2の荘厳さに魅せられ何日もひとりで連泊したものでした。特にカラコルムは自然の雄大さとその反面人を受け付けない自然の厳しさの両方を見せ付けられました。その旅の途中に出会ったカザフ族の人たちは羊やらくだの群れを従えて現在(当時)でも遊牧民をしていました。テントに招かれ内部のすばらしい装飾品に驚かされました。差し出されたコップにこびり付いたバターの匂いと厚みに戸惑いました。十年、いや二十年以上は洗っていないだろうそのコップの中身を飲み干すことができませんでした。しかし、食べ物(羊肉、ミルク、バター、油)、衣類(下着にいたるまで)、寝具、絨毯、フェルト、テント、生活のほとんどすべてが家畜から供給されていることに驚きました。

ネパール、アンナプルナのベースキャンプへのトレッキングでは町から山まで二週間歩き続け一歩一歩自問自答しながらいろんなことを考えたものでした。標高4800mのベースキャンプまでの登り続けの片道一週間は上から降りてくる「ナマステェー」とすれ違うネパールの人たちの笑顔に勇気付けられ「人の笑顔はなんてすばらしい力を持つのか」と感動したものでした(帰りはその逆で私が笑顔をふりまきました)。その途中の標高2000m近くの部落で歓待の舞で迎えてくれた少女の素朴で純真な踊りは忘れることはないでしょう。カメラを持ち歩かない私はこれらの風景を皆様に写真でお見せすることはできません。

二十代前半から三十代半ばまではふらっと半年ほどは行ったきり帰らない旅行を何回も続けたものでした。気に入った場所に数カ月滞在しゆったりとした時間を楽しんだものです。もともと工芸品好きということもあり旅先での現地の方々の素朴な手工芸品に心打たれました。子のため親のため夫のためまたは妻のため、(自身のためでもあると思う)時間を惜しまず、親から子への伝承される技の数々には「計算」や「経済」などなく「愛」のみでした。まさに私たちが既に失ったものでした。
しかし、これらのすばらしい体験を生かし、何らかの形で皆様にアジアの伝統工芸をお伝えできているのではないかと2008年岩手県八幡平市に株式会社アーチコレクションを設立いたしました。
遊び呆けていた1990年台の十年間は53回の日本出国とのべ1362日在外日数を数えました。

きっかけは北海道自転車旅行

1991年当時勤めていた会社を辞めて期間の定めない北海道自転車旅行を実行しました(傷心旅行でした)。東京からはフェリーで釧路に上陸し、まだ六月にもならぬころいわゆるチャリダー連中もまだ見かけぬ肌寒いころでした。15kgもあるリュックを背負ってのマウンテンバイクでの旅でした。通常荷物は後輪の両サイドのサドルパックに詰め込むのですがどうしても当時はやりのマウンテンバイクではしりたかったので無理をし背負ったのです。格好を優先した若者でした。中にはテントから米ラジオ代えの服下着いろいろ詰め込み、キャンプ場や公園、食堂の駐車場など生まれて初めて節約生活を体験しました。飯盒を持って、二カ月くらい自転車でぶらぶらしていました。キャンプ場はまだほとんどオープンしておらず無料で使えましたが、恐ろしく寒くて死ぬかと思った夜もありました。東京で生まれて東京で育ち(所沢に越しましたが)すべてが新鮮で今までの消費生活がばかばかしく思えてなりませんでした。そんな中出会ったその道のプロの(住所不定の)人々にさらに驚かされたのでした。
まず驚いたのが世の中には会社や社会の歯車になんかならずに本当に自由な身分の人がいることでした。時々働いてそのお金で精いっぱい持ちこたえながら移動し、なくなった先でまた少し働く。実はそのためにこれからハイシーズンになる北海道に向かっている人を多く見かけました。ここ北海道全体が観光地シーズナリティーはあるもののハイシーズンには人手がほしい、ということでした。日本一周歩いている人に出会ったりカヌーをバイクで背負って走っている人、ママチャリで日本二周目にチャレンジしている人などと楽しい話をしました。そんな中外国を歩く人たちに中国の面白い話を伺いました。その後異常なほどの興味をそそられその後は中国に熱中していました。歴史の中国ではなく、人民のというか、大衆、巨龍、人にあふれている中国に、あの有名な穴のあいたトイレのお話、英語の通じない中国、ものすごい列車体験のの旅、まだ中国人が自由に海外に出ることができないほんの数年前のそんな中国に、です。(このころの中国が本当に好きでした。)
その中国に香港から始めて入国したのは自転車旅行後四か月たった冬でした。ほんの二三週間で戻るつもりが8か月もの間連絡もなしに日本へは戻りませんでした。その後現在に至るまでずうーっと旅行している感じです。
これが当社のご案内....?、なんか変ですが、社長も社員も営業も掃除夫もそして販売員も一人で楽しみながらやっています。「本当の自由人になる」ための会社を目指しています。
この続きはいつかまたこのHP内に作ります。
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